この道の先

title この道の先

『この道の先に何があるのだろう。

君は言ったんだ。
土を耕す事が、大事だと。
種を蒔く事が、大事なんだと。

だから僕は思ったんだ。
花を咲かしたその時よりも、
ずっとずっと大事だと。

僕は歩いた、委ねる想い、
ただそれだけを道標に。


この道の先にあったもの。
それは、
あの時信じたかすかな光の
結晶の花。

そして君は言ったんだ。

大丈夫、私はあなたの全てを受け入れるから。と。


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個展会場に飾ってある中の一枚の絵です。
(ライブペイントの日に開始早々に倒れました…笑。近くの方、びっくりされましたよね、ごめんなさぃ。笑
私もかなりびっくりした…笑)

この絵、今回の個展に向けて描いた最初の絵でした。真っ暗な暗い中にいた、真っ白な象が花を咲かせた絵です。

この絵に言葉を書いた時に、
自然と、君、と、僕、と言う二人が出てきました。
2人いるようで、でも私がこの絵を描いた時にいた君と僕は、2人共、『私』でした。

自分で自分に何度も言い聞かせては、
またそれに反論したり、自信をなくしたりする、もう一人。
その自分にまた言い聞かせて。

土を耕す時期を、忘れちゃいけないよ、と。
土を耕していれば、いつか必ず花は咲くんだと思う。

人と人は支え合って生きてると思う。
だけど時には、自分でしか救えない自分がいると思う。
そしてまた、自分の力だけではどうすることも出来ない力が動く時があるんだと思う。
その時に、委ねる事を知るんだと思う。
なんだかこの世界は目に見えないもので動いてる。

無力さを感じるのは、
悪い事じゃない。

『無力』って、悲しい言葉に聴こえてたけど、そうじゃないんだって思ったんだ。

無力さを知って、委ねる事や自分だけじゃない存在を知って感謝を知る事が出来るのかなって思った。
無力さを知って、自分だけの力で生きてる訳ではない事を知れる様な気がした。

空を見上げるのが大好きだった、昔から。
悲しい時、空を見上げた時、自分がちっぽけに感じた

例えば、社会の中で自分をちっぽけと思うと、なんだか自信がなくなったりだけど

空を見上げた時のちっぽけな無力さは、悲しみなんてなくて、
安らぎや安心をくれたんだ。
包まれてるようだった、

だから
空を見るのが好きだったのかもしれない。
だから人は空を見るのかな。




コメント

  1. Orion2012年2月9日 11:56

    お久しぶりです♪
    私も…自分の無力さやふがいなさ
    自分の存在がすごく嫌になってしまった時…
    いつも空を見上げていました。
    涙がこぼれないように
    次はがんばるぞって…
    あの時の想いを思い出しました。
    自分のできなさや
    もっとみんなに近づきたいって
    つらかったけど、少しずつ進むしかなくて…

    そういえば、あのとき助けてくれた人がいてくれたからこそ
    自分を知ることができたし、変わろうと思えたんだと思います。
    私も空を見上げるのが好きです。なんか、生きてるって感じします。きっとあの人ともどこかでつながってるんだって思えます。

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    1. >orionさん
      その時その時、辛いように悲しいように感じる時期こそ、何かの気付きを教えてくれる時期なんでしょうね^^
      前にある人にこんなことを言ってもらいました。『何もない事は、怖い事かもしれないよ』と。
      空を見るのはいいですよね^^冬は寒いですが、星が綺麗に見えて嬉しいです^^

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